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旧石器時代

人類の起源

人類の起源は、現在では約700万年前ごろのアフリカにさかのぼると考えられている。この時期に現れたサヘラントロプスなどの最古の猿人は、直立二足歩行の萌芽的な特徴を備えていたとされる。その後、人類は進化を重ね、約250万年前ごろにはホモ・ハビリスなどのヒト属が登場し、石器を用いるようになった。 ​ さらに約30万年前ごろには、現生人類であるホモ・サピエンスがアフリカで誕生し、その後ユーラシアやオセアニア、アメリカ大陸へと拡散していった。
 日本列島は、もともとユーラシア大陸の縁辺部として形成され、数千万年にわたるプレート運動によって徐々に現在のような弧状列島の形をとるようになった。
 現在のような日本海をともなう列島の原型は新生代にかけて成立し、更新世(約258万年前〜約1万1700年前)の氷期と間氷期の繰り返しの中で、海面の上下により大陸との連結と分離を繰り返した。氷期には海面が低下して、日本列島とアジア大陸が陸橋でつながる時期があり、シベリア方面や中国大陸側から大型哺乳類が往来した。
​ 約1万数千年前に最終氷期が終わって温暖化が進むと、海面が上昇して列島は現在に近い島々の姿となり、その後の縄文時代の舞台が整えられた。
 このように、人類はアフリカで誕生し、長い進化と移動の過程を経て世界各地へ広がった。 日本列島も地質時代を通じて形を変えながら、最終的に人類が移住し、独自の文化を育む場となっていった。

 

旧石器時代

日本の旧石器時代は、地質学でいう更新世、すなわち約258万年前から約1万1700年前までの氷河時代に相当するが、人類の確実な痕跡が見られるのは主に後期旧石器時代(約4万年前以降)である。
​ 旧石器時代は、土器が出現する縄文時代が始まる約1万2000年前ごろまで続いた先土器文化の時代と位置づけられる。この時期、日本列島は氷期においてアジア大陸と陸続きになることがあり、寒冷な気候に適応したマンモスやオオツノジカなどが北方から、ナウマンゾウなどが中部・西日本を中心に生息域を広げた。人類はこうした大型・中型動物を追って、あるいは資源を求めて日本列島へ移動してきたと考えられている。
 日本の旧石器時代の人々は、黒曜石やサヌカイト、チャートなどの石材を用いて、打製石器を作り出した。初期には握斧や握槌などの打撃用石器が多用されたが、やがてナイフ形石器や槍の先につける尖頭器、さらに木や骨の柄にはめ込んで使う細石刃など、用途の分化した多様な石器が作られるようになった。
 経済の中心は、シカやイノシシなどの動物の狩猟、川や海での漁撈、木の実・山菜などの植物性食料の採集による採集経済であった。住居は、洞窟や岩陰に一時的なキャンプを構える場合が多く、台地や段丘上の平坦地に簡易な小屋や浅い掘立て状の構造を伴う住居を設けた例も知られているが、長期的な定住は一般的ではなかった。ヨーロッパの後期旧石器時代のような本格的な竪穴住居は、日本列島では完新世に入った縄文時代早期以降に広く見られるようになる。旧石器時代にも、浅い掘り込みをもつ簡易な住居痕跡が報告されているが、基本的には移動性の高い生活が営まれていたと考えられる。
​  このように、日本の旧石器時代は、氷期の日本列島に人類が渡来し、打製石器を用いて狩猟・採集生活を行った時代であり、農耕や本格的な定住、竪穴住居の普及は、その後の縄文時代に入ってから本格化する。

 

岩宿遺跡(群馬県)

1946年、群馬県みどり市(旧笠懸町岩宿)で、相沢忠洋が道路の切通しに露出していた赤土、いわゆる関東ローム層の中から打製石器を発見した。
​ ​ 当時、日本列島には縄文時代以前の旧石器時代文化は存在しないという見解が有力であったが、この発見を契機に日本の先史観が大きく揺らぐことになった。
​  1949年には、明治大学考古学研究室などによる本格的な発掘調査が実施され、関東ローム層中から土器を伴わない石器群が出土したことで、日本列島にも旧石器時代が存在したことが学術的に証明された。 ​ この発掘以後、日本各地で旧石器時代遺跡の調査が進み、旧石器研究は日本考古学の一大分野として発展していくことになる。
​  岩宿遺跡の発掘では、上下二つの石器文化層が確認された。
​ ​ 下層からは岩宿I石器文化と呼ばれる約3万5000年前の石器群が出土し、基部を加工したナイフ形石器や局部磨製石斧などを含む後期旧石器時代初頭の特徴的な道具組成を示している。
​  上層からは岩宿II石器文化と呼ばれる約2万5000年前の石器群が見つかり、切出形ナイフ形石器などを伴う後期旧石器時代後半の文化として位置づけられている。
​ ​ これら二つの文化層の存在は、日本列島の旧石器文化が一定の時間的幅をもち、道具組成や技術に変化を重ねてきたことを示す重要な証拠となっている。
​  岩宿遺跡の発見と調査は、日本の人類史を縄文時代よりはるか以前の旧石器時代へとさかのぼらせ、日本考古学史上の画期として位置づけられる。
​ ​ こうした意義から、岩宿遺跡は1979年に国の史跡に指定され、日本列島における旧石器時代の存在と日本文化の起源を考える上で欠かせない遺跡となっている。
​  なお、岩宿遺跡の初発見は1946年であり、1949年は明治大学との共同による発掘調査が行われた年である。​現在、岩宿遺跡の所在地は群馬県みどり市岩宿であり、周辺には資料館や公園が整備され、旧石器時代研究と歴史学習の拠点となっている。

 

旧石器時代について学ぶことのできる施設

■相澤忠洋記念館公認ホームページ
http://www15.plala.or.jp/Aizawa-Tadahiro

■みどり市 岩宿博物館
http://www.city.midori.gunma.jp/iwajuku/

■宮古市崎山貝塚縄文の森ミュージアム(岩手県宮古市)
https://www.city.miyako.iwate.jp/bnka/sakiyamamuseum/sakiyama_museum1_2.html

■仙台市富沢遺跡保存館 地底の森ミュージアム
https://www.sentabi.jp/guidebook/attractions/15/

■野尻湖ナウマン象博物館
http://nojiriko-museum.com/

■南牧村美術民俗資料館
http://www.ytg.janis.or.jp/~bijyutsu/

■翠鳥園遺跡
https://www.city.habikino.lg.jp/soshiki/shougaigakushu/bunka-sekai/bunkazai/bunkazai/iseki_shokai/kyusekkijidai/2561.html

■沖縄県立博物館・美術館
https://okimu.jp/museum/permanent/specialized/


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