Japanese History Digest 公式ページへようこそ!
江戸時代 後期
天保の改革後期と幕府の動揺(天保〜安政期)
天保の改革(1841〜1843年)の失敗後、幕府は老中・阿部正弘のもとで公武合体政策を模索したが、内外の深刻な危機に直面していた。1840年代後半から外国船の来航が相次ぎ、1846年にはアメリカ使節ジェームズ・ビドルが来航し、さらに1853年にはロシア使節プチャーチンおよびアメリカのペリーが来航した。幕府はこれに先立ち、1842年に異国船打払令を撤回して天保の薪水給与令を出すなど、武力排除から柔軟対応へと政策を転換していたが、列強との軍事的格差は明らかであった。このため、開国か攘夷かをめぐる論争が幕府内外で激化し、幕府権威の動揺が深まっていった。
天保期の社会不安は深刻で、1837年の大塩平八郎の乱(大阪天満で塩専売反対の蜂起)は、知識人主導の一揆として象徴的である。飢饉・商業混乱が農民・町人を苦しめ、幕府の統制力低下を露呈した。文化面では化政文化が続き、葛飾北斎・歌川広重の浮世絵、曲亭馬琴の読本が庶民文化を彩ったが、政治的緊張が高まる中、蘭学(蘭語解読・洋式砲術)が密かに広がった。
欧米列強の接近と開国(開港〜安政条約)
19世紀中葉、欧米列強は産業革命後の帝国主義的進出を強め、アジア・アフリカを植民地化。日本もその標的となり、1837年のモリソン号事件(アメリカ商船が漂流民送還を名目に来航、異国船打払令で砲撃退去)で鎖国堅持を示したが、軍事力格差は明らかだった。
転機は1853年7月、ペリー提督率いる黒船4隻が浦賀に来航。「米国大統領の親書」を突きつけ、開国を強要した。幕府は阿部正弘老中のもと協議したが、列強の脅威(アヘン戦争後の中国敗北を知る)を前に、1854年3月に日米和親条約(神奈川条約)を締結。下田・箱館開港、アメリカ領事駐在を認め、限定的開国が始まった。
これを機にロシア・イギリス・フランス・オランダとも同様条約を結び、1856〜1858年にタウンゼント・ハリス駐日公使が通商条約交渉を迫った。大老・井伊直弼は天皇の勅許なしに独断で1858年、日米修好通商条約を締結(安政五カ国条約)。横浜・神戸・大阪・長崎・新潟開港予定、関税自主権・領事裁判権喪失の不平等条約で、国内に衝撃を与えた。
開国は物価高騰・米価暴騰を招き、社会不安を増大させた。尊王攘夷運動が全国に広がり、水戸学の影響を受けた志士(吉田松陰ら)が台頭。井伊の強権政治は安政の大獄(1858〜1859年)で公卿・志士を弾圧したが、1860年桜田門外の変で井伊が水戸浪士に暗殺され、幕府威信は失墜した。
幕末政治の動揺(公武合体〜薩長同盟)
開国後、幕府は公武合体(朝廷と武家の協力)で権威回復を図った。一橋慶喜(のち慶喜)を次期将軍擁立し、孝明天皇の信任を求めたが、攘夷論が強く失敗。1862年、薩摩藩主・島津久光の上京攘夷論、1863年の下関戦争(長州藩がアメリカ・フランス船攻撃、敗北)で攘夷派は現実を認識した。
文久期(1863〜1865年)、薩摩はイギリス艦隊と薩英戦争(鹿児島砲撃)で和親に転じ、近代化を急いだ。長州は高杉晋作らのクーデタで開国派が主導。1864年、池田屋事件(京都で長州志士掃討)、禁門の変(長州軍の京都御所突入失敗)、第一次長州征伐で幕府優位となったが、長州は四境戦争(周防・長門で新政府軍敗北)で内部分裂・近代軍備を強化した。
1866年、薩摩の西郷隆盛・小松帯刀、長州の木戸孝允らが坂本龍馬の仲介で薩長同盟を結成。薩長の軍事力強化と倒幕志向が決定的となり、孝明天皇崩御(1866年)後の岩倉具視ら公卿も新政府樹立を支持した。
江戸幕府の滅亡と明治維新
1867年10月、第15代将軍・徳川慶喜は大政奉還を行い、王政復古を宣言(1867年12月)。新政府樹立を容認したが、薩長中心の王政派はこれを「遅滞」とみなし、1868年1月、鳥羽・伏見の戦いで新政府軍が勝利。戊辰戦争が勃発した。
内戦は東北・北海道に及び、会津藩の籠城・奥羽越列藩同盟の抵抗、箱館戦争(榎本武揚の蝦夷共和国)で新政府優位。4月、西郷隆盛・勝海舟の江戸無血開城で首都平定。1869年、箱館総攻撃で戊辰戦争終結、約265年にわたる江戸幕府は崩壊した。
新政府は五箇条の誓文(1868年)で近代化を宣言、東京奠都(1868年)、廃藩置県(1871年)で中央集権を確立。文明開化・富国強兵の下、岩倉使節団(1871〜1873年)が欧米視察し、明治維新が本格化した。これにより日本は封建社会から近代国民国家へ移行した。
江戸時代 後期の年表
| 1842年 | 天保の薪水給与令を発布。異国船打払令を緩和し、遭難船への援助を認める。開国の予兆が現れる。 |
| 1843年 | 上知令を発布。江戸・大坂周辺の大名領を幕府直轄地としようとしたが、反発により撤回される。 |
| 1844年 | オランダ国王が将軍に開国を勧告。幕府は外交的圧力への対応を模索し始める。 |
| 1853年 | アメリカのペリー提督が浦賀に来航し、開国を要求する。翌年再来を予告。 |
| 1854年 | 日米和親条約を締結。下田・函館を開港することが約束され、鎖国政策が実質的に終わる。日英、日露、日蘭とも同様の条約を結ぶ。 |
| 1855年 | 安政の大地震(江戸大地震)が発生。都市部に甚大な被害を与える。翌年にかけて災害と疫病が続く。 |
| 1856年 | ハリスが下田に着任し、通商条約の締結を求めて交渉を開始。 |
| 1858年 | 日米修好通商条約を締結。不平等条約として領事裁判権を認め、関税自主権を放棄する。井伊直弼が大老に就任。 |
| 1859年 | 安政の大獄が本格化。尊王攘夷派の公家・志士らを弾圧。横浜・長崎・箱館を開港。 |
| 1860年 | 桜田門外の変が発生。井伊直弼が水戸浪士らにより暗殺され、幕府の威信が低下する。 |
| 1861年 | 公武合体政策の一環として、和宮が将軍徳川家茂に降嫁。幕府は朝廷との融和を図る。 |
| 1862年 | 生麦事件が発生。薩摩藩士がイギリス人を殺傷し、後の薩英戦争の原因となる。 |
| 1863年 | 長州藩が下関で外国船を砲撃(攘夷実行)。その後、四国艦隊下関砲撃事件が起こる。 |
| 1864年 | 禁門の変(蛤御門の変)が勃発。長州藩が敗北し、第一次長州征伐が行われる。 |
| 1865年 | 第二次長州征伐に備え、幕府が諸藩に出兵を命じる。長州藩は洋式軍制を整備。 |
| 1866年 | 坂本龍馬の仲介により薩長同盟が成立。将軍徳川家茂が死去。幕府軍の長州征伐が失敗。 |
| 1867年 | 大政奉還が行われる。徳川慶喜が政権を朝廷に返上し、幕府体制に終止符が打たれる。 |
江戸時代 後期について学ぶことのできる施設
■浦賀レンガドック(神奈川県横須賀市)
https://www.wakuwaku-yokosuka.jp/uragarengadock.php
■横須賀市ペリー記念館(神奈川県横須賀市)
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/5560/sisetu/fc00000442.html
■横浜開港資料館(神奈川県横浜市)
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/
■下田開国博物館(静岡県下田市)
https://www.shimoda-museum.jp/
■旧イギリス領事館(開港記念館)(北海道函館市)
https://www.fbcoh.net/
■山手西洋館群(神奈川県横浜市)
https://www.hama-midorinokyokai.or.jp/yamate-seiyoukan/
■長崎歴史文化博物館(長崎県長崎市)
https://www.nmhc.jp/
■出島(長崎県長崎市)
https://nagasakidejima.jp/
■高知県立坂本龍馬記念館(高知県高知市)
https://ryoma-kinenkan.jp/
本サイトに掲載している日本史に関する情報は、可能な限り正確性を期して作成しておりますが、その内容の完全性・正確性・最新性を保証するものではありません。 史料解釈の違い、研究の進展、記述上の不備等により、誤りが含まれる可能性があります。 また、本サイトには日本語の内容を基に作成した外国語ページが含まれており、翻訳過程において表現の差異や誤訳、不正確な表現が生じる場合があります。これらの翻訳ミスも含め、掲載内容に起因して生じたいかなる損害についても、当サイトは一切の責任を負いかねます。
