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明治時代

明治維新

戊辰戦争(1868~1869年)は旧幕府勢力と新政府軍の戦いであり、ここで新政府が勝利することで明治維新は大きく進展しました。特に江戸城無血開城(1868年)は、江戸市中の戦災を避けつつ旧幕府から新政府への移行を円滑に進めた出来事として象徴的です。これらの過程を経て、新たな明治政府が正式に成立し、天皇を中心とする新しい近代国家建設が始まりました。

 

中央集権国家の成立

藩主が領地と人民を天皇に返す版籍奉還(1869年)や、廃藩置県(1871年)によって政治権力は中央に集中しました。その後、近代的財政基盤を整えるために土地に課税する地租改正(1873年)が行われ、政府の安定財源が確立されました。また、国家の富強化を目指し、工業や交通の振興に力を入れる殖産興業政策が展開され、中央集権国家としての体制が強化されました。

 

明治初期の外交政策

1874年、日本は台湾出兵を行い、清との外交交渉を通じて列強と肩を並べようとしました。さらに日本の国力強化に伴い、朝鮮との国交を巡って征韓論(1873年)が浮上します。しかしこの方針は政府内で激しい対立を生んで退けられ、これに関わる政治的対立から、征韓論を主張した西郷隆盛らが下野する明治6年の政変(1873年)が起こりました。これは国内政治体制にも大きな影響を与える出来事でした。

 

憲法制定

明治政府に対して国民の政治参加を求める声が高まり、1874年の民撰議員設立の建白書が提出されました。これは国会開設を求める自由民権運動の出発点とされています。一方で、政府の専制的姿勢に不満を強めた士族の反乱が続き、最も大規模なものが西南戦争(1877年)です。この戦争は自由民権運動とも関連して近代国家建設の動向に大きな影響を与えました。

 

自由民権運動

国民の声に応えるかたちで、政府は憲法制定に向けて制度を整備しました。1885年、近代的政治制度の中核をなす内閣制度が発足し、その後、伊藤博文を中心としてドイツ(プロイセン)憲法を参考にした憲法作成が進められました。また、天皇制国家の根幹を示す皇室典範が整備され、統治の基本秩序が定められていきました。

 

帝国議会

1889年に大日本帝国憲法が公布され、1890年に初めて帝国議会が開かれました。ここで政府は議会に左右されない統治姿勢をとる「超然主義」を掲げました。これは、政府が政党に依存せず天皇の大権を背景に政治を行うという立場です。初代内閣総理大臣を務めた黒田清隆も、この方針を明言し、立憲政治と天皇主権とのバランスを模索する政治の出発点が形づくられました。

 

日清戦争への道

19世紀後半、日本は朝鮮半島をめぐり清国と対立を深めることとなった。朝鮮では伝統的に清国の影響が強かったが、日本は開国後の国際的地位の向上を背景に朝鮮への影響力を強めようとした。

 1882年、朝鮮において旧来の保守派兵士が日本に反発し、漢城の日本公使館が襲撃される事件が起こった。これを壬午事変という。この時、日本は清国とともに出兵して事態を収束させたが、朝鮮における日本の立場はむしろ弱まり、清国の宗主権が再確認される結果となった。

 続いて1884年、独立党と呼ばれる親日派の改革グループがクーデタを試みたが、清国軍の介入で鎮圧された。この事件を甲申事変という。失敗により日本の影響力はさらに低下し、朝鮮における清国の支配は一層強化された。

 しかし1894年、東学農民運動をきっかけに再び清国と日本が出兵したことで緊張が高まり、ついに日清戦争が勃発した。

 

日清戦争と下関条約

日清戦争は日本の近代的軍事力の優位を示し、連戦連勝のもと1895年、講和条約である下関条約が結ばれた。その内容は、清国による朝鮮の独立承認、遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲、賠償金の支払いなどであった。この結果、日本は国際的に列強の一員へと躍進し、国民の間で大きな自信が生まれた。

 しかし、ロシア・ドイツ・フランスの三国は、日本の遼東半島領有が東アジアの平衡を脅かすと主張し、日本にその返還を迫った。これを三国干渉という。日本はやむなく遼東半島を返還したが、このことは国民に強い屈辱感を与え、その後の対露対抗意識を深める契機となった。

 

北清事変と列強の進出

1900年、中国で義和団の排外運動が展開し、北京の各国公使館が包囲される事態となった。これを北清事変という。日本は諸列強とともに出兵し、義和団と清国軍を鎮圧した。この際、日本の出兵は迅速かつ大規模であり、列強から日本の軍事力が一目置かれる結果となった。だが同時に、満州に出兵したロシアが撤退せず勢力を拡大し、日本との対立が決定的となっていった。

 

日露戦争とポーツマス条約

1904年、韓国と満州をめぐる対立はついに武力衝突に発展し、日露戦争が始まった。日本は旅順攻囲戦、日本海海戦などで勝利を収め、戦局を有利に進めた。とはいえ国力の差は大きく、日本も長期戦に耐えられる状況ではなかった。

 1905年、アメリカ大統領ルーズベルトの斡旋により、両国は講和談判を行い、ポーツマス条約が締結された。その内容は、韓国に対する日本の指導権承認、旅順・大連租借権及び南満州鉄道の譲渡、南樺太の割譲などであった。ただし賠償金獲得はならず、日本国内では講和条件に不満が高まり、日比谷焼討事件などの民衆暴動が発生した。

 

明治時代の年表

1868年 戊辰戦争開始、江戸城無血開城、五箇条の御誓文、江戸を東京に改称、元号を明治に改元
1869年 戊辰戦争終結、版籍奉還、東京遷都、新政府による全国統一
1871年 廃藩置県、新貨条例、岩倉使節団派遣、郵便制度開始、日清修好条規調印
1872年 学制公布、新橋-横浜間鉄道開通、富岡製糸場設置
1873年 徴兵令、地租改正条例、明治六年の政変、岩倉使節団帰国
1874年 民撰議院設立建白書提出、台湾出兵
1875年 樺太千島交換条約締結、江華島事件
1876年 廃刀令、日朝修好条規締結、秩禄処分
1877年 西南戦争(士族最後の反乱)
1879年 琉球処分(沖縄県設置)
1881年 国会開設の勅諭、自由党結成
1882年 立憲改進党結成
1885年 内閣制度創設(初代内閣総理大臣:伊藤博文)
1889年 大日本帝国憲法発布、皇室典範制定
1890年 第一回衆議院議員総選挙、第一回帝国議会、教育勅語発布
1894年 日英通商航海条約調印、日清戦争勃発
1895年 下関条約(日清戦争終結)
1897年 八幡製鉄所操業開始
1899年 日英通商航海条約発効(不平等条約改正)
1901年 足尾銅山鉱毒事件の社会問題化
1902年 日英同盟締結
1904年 日露戦争開戦
1905年 日露戦争終結、ポーツマス条約、第二次日英同盟
1906年 韓国統監府開庁、南樺太をロシアから受領
1907年 ハーグ密使事件
1908年 ロシアと樺太の国境確定
1909年 伊藤博文暗殺
1910年 韓国併合
1911年 関税自主権の回復、第三次日英同盟

明治時代について学ぶことのできる施設

■博物館明治村(愛知県犬山市)
本物の明治時代の建築物を野外保存展示する大規模博物館です。重要文化財、産業遺産、蒸気機関車など明治の文化・技術の実物に触れることができます。明治時代の日常や制度の様子を体験し、近代化の過程を総合的に学べます。
https://www.meijimura.com/

■東京国立博物館(東京都台東区・上野公園)
日本最古・最大級の博物館であり、明治時代以降の美術・工芸品、博覧会関連資料、近代化に関わる展示が行われています。企画展では明治期の絵画・彫刻・工芸やウィーン万国博覧会の出品作など、近代日本の文化的変動を実感できます。
https://www.tnm.jp/

■幕末維新ミュージアム 霊山歴史館(京都市)
幕末から明治維新への変革期を専門に扱う博物館です。新選組や坂本龍馬など「維新の京」に関する貴重な資料や、事件現場の再現模型展示などで明治維新の現場の雰囲気を体感できます。
https://www.ryozen-museum.or.jp/

■国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)
日本の歴史と生活文化を総合的に展示する施設で、明治時代の社会や産業、近代化に関する資料も充実しています。企画展示や体験イベントもあり、子どもから大人まで学べます。
https://www.rekihaku.ac.jp/

■明治大学博物館(東京都千代田区)
明治時代の法や近代化、生活・文化をテーマにした展示が揃っています。学生・一般ともに利用でき、近代日本の産業・社会の変容を資料・展示物から学習できます。
https://www.meiji.ac.jp/museum/


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